「二宮のせいでおれは無駄な努力ばかりさせられてるよ」
 タブレットに表示されたポイントを眺めて晴人はため息をついた。スコーピオンの下に並ぶシューター用トリガーの数字が悲惨なことになっている。
「予想通りだな」
 隣でノートパソコンのキーボードを叩いていた二宮が、手を止めないままちらりと晴人の手もとに視線をやった。
「お前とメテオラの相性の良さは見込み通りだ」
「嬉しくない」
 どことなく上機嫌な二宮が憎らしかった。
 二宮と晴人の、周囲から長く首を傾げられ続けていたシューターとアタッカーの師弟関係の成果が一年越しにようやく日の目を見はじめていた。しかし晴人は少しも喜ぶ気になれず、そもそもメテオラの才能開花という時点で今度は周囲の首の向きを反対の方向にねじ曲げさせていた。
 二宮と影浦の両隊が前触れもなく降格してきたB級団体ランク戦は、このところ波乱続きだった。晴人の所属する隊もその大嵐に巻き込まれてランキングを激しく変動させ、時を同じくして晴人のメテオラのポイントがひそかに、そして急激に伸びていた。
 そこだけ切り取れば今シーズンの勝者は晴人だ。誰にも注目されたことはないが、メテオラの個人ランキングではトップに躍り出ている。あっという間に有名どころの隊員たちをごぼう抜きする快進撃だ。
 そんなことが簡単に成し遂げてしまえるほどメテオラを主要な攻撃手段に用いる隊員は少なく、それはとりもなおさず晴人の隊の隊長が取った作戦がとんでもなく運任せの杜撰な計画だという証拠で、そして残念なほど晴人に向いていた。
「おれが何と呼ばれているか二宮は知ってるか?」
「ボマー」
 正答が返ってくるとは思わず、晴人は真剣にパソコンと向き合う二宮の顔を覗き込んだ。
「邪魔だ」
「知っといてその反応? 師匠としての感想は?」
「もう言った」
 予想通りだと。二宮に手で額を押し除けられ、晴人は再び自分のタブレットを恨めしく睨みつけた。
 何度見ても数字は変わらない。出番の減ったスコーピオンはマスタークラスの一歩手前で足踏みしている。アステロイドは一年前から微動だにせず地の底を這っている。少し前まで二宮との個人戦にのみ使用していたメテオラは、このところの団体戦の影響で右肩上がりだ。
 ボマーと呼ばれている。あるいは目立ちたがり屋の暗殺者。品行方正を地で行く苦学生としては不本意だ。勤労に励みすぎて必修単位をいくつか落としてはいるが。
 最初のお披露目で派手に二宮をキルして以来、対戦相手は晴人が戦場に仕込んだメテオラを面白いほど警戒し、意識すればするほど晴人の選択肢は絞られ、戦術立案に慣れた隊ほど置き弾作戦は見事に引っかかった。
 それもこれも晴人の師匠に一泡吹かせる絶好の機会だと本人よりも意気込んだ隊長が二宮隊への虎の巻として組み入れたもので、狙撃手相手には滅法弱い。最近になってオールスナイパーの変態編成をぶち上げてきた荒船隊とマッチングしたときなどは、二宮への強い対抗意識が足もとをすくってなすすべもなく、あの隊はいつからメテオラありきの一発芸チームになったのだと解説から苦言を呈された。
 いずれにせよ、どの隊もそのうち対策を練ってくるだろう。今は突然目の前に転がり落ちてきた二宮隊と影浦隊に全員の意識が向けられているが、絶対的な力量差の前にはやがて現実も見えてくる。
 たとえ、隊からひとり狙撃手が消えたとしても、いつも後ろで仕方なさそうに浮かべられていた笑みが今はどこにも見当たらなくとも、彼は、彼らは、ボーダーが誇る精鋭部隊なのだと。
 晴人の目の端で、パソコンの画面にポップアップがポンと立ち上がった。リマインダー機能だ。同時に、時間に正確な二宮隊の隊員がラウンジの向こうに現れる。
「お疲れさまです」
 隊長の知り合いにも礼儀正しく頭を下げる犬飼と辻に晴人はひらりと手を振った。
「お疲れ」
「少し待ってろ、すぐに終わらせる」
「了解です」
「いくらでも待ちますよ、二宮さんの奢りだし」
 二宮隊はこれから恒例の焼肉だという。図らずも紅一点となった氷見には、たまには男同士で親睦を深めてくださいと断られたらしい。
 ボーダー本部に提出用のレポートへ集中する二宮の横で、晴人は話の流れから財布の許可なく一緒に行きますかと誘われたが、これから防衛任務だとできるだけ残念そうに伝えた。氷見の断った理由については知らないが、晴人はこの一年で焼肉に食べ飽きていた。
 晴人はタブレットを閉じると、向かいの席に座った後輩たちと入れ替わるように立ち上がって伸びをした。
「うちの隊長、まだ訓練ブースでくだ巻いてたか?」
「くだを巻くというより、生駒さんとチャンバラごっこして近場のC級隊員を巻き込んでましたね」
 犬飼の笑顔の報告に、ボーダー内での迷惑行為を止めようとしてくれた気配がない。
「張り切ってんなあいつも。先に回収しとくか」
 晴人は腕時計に目を落とした。二宮隊に比べればはるかに時間にルーズな隊だが、重要な防衛任務に遅れるわけにはいかない。
 犬飼が頬杖をついて晴人を見上げた。
晴人さんって意外と面倒見がいいですよね」
 表面上は好意的な言い方であるはずなのに、どことなく不遜な気配に隣の辻が慌てた。
「え、っと、晴人さんは、いつも面倒見がいいと、思います……」
 その視線がちらりと二宮の方を向く。二宮はパソコンの画面から目を離さないまま、会話の流れを遮るように晴人へ手を突き出した。
「ん?」
「クリーニング。帰りがけに寄ってくる」
「それは助かる」
 晴人はかばんからいそいそとクリーニング店の引換券を取り出してその手に乗せた。
「ついでに欲しいものはあるか」
「シャンプーの詰め替え」
「スーパーはもう開いてないだろ」
「じゃあ適当にアイス買っといて。暑くなってきたしアイス開きしよう」
「わかった」
 アイス開きって何、と聞きたそうにしている犬飼を辻が袖を掴んで必死に止めている。
 二宮隊の面々とは顔を合わせる機会が多いので、晴人はできれば親しくしたいと思っているが、鳩原が除隊になって以来、何故か辻とのあいだに薄っすらと壁が築かれた気がする。
「このふたり、びっくりするほど仲良いよね」
「そ、そうですね……」
 それに反して犬飼は以前にもましてぐいぐいと距離を詰めてくるようになっていた。きっかけは「二宮さんと同棲はじめたってうわさ聞きましたけど」とだしぬけに言い出した冗談からだった。晴人は今でも冗談だと思いたい。
 同棲はともかく同居は事実だ。晴人と二宮のルームシェアはなし崩しにはじまった。
 もとは二宮がボーダー本部に泊まり込んで帰らないのを、友人兼弟子の晴人がみなを代表してぽいとつまみ出したことに端を発する。そのまま大人しく帰途につくはずもないので、ついでに晴人のアパートの鍵を預けた。渋る二宮の手にねじ込んで、顔を洗って寝ておけと、おれの飯でも作って待っとけと。そこから野良猫よろしく居ついてしまったのだ。
「よく二宮さんと喧嘩もせずに続きますね」
 今度の犬飼の発言は失礼な言い方ながら本気で感心しているようだった。
 自分の携帯へ怒涛のように入るオペレーターからのメッセージに晴人が気を取られているうちに、二宮がレポートの仕上げの片手間に淡々と応じた。
「同じ部屋で暮らしていれば喧嘩くらいするだろ」
「喧嘩をやめるときは、おふたりのどちらが最初に折れるんですか? やっぱり二宮さんから?」
「俺に落ち度があればな」
「自分が悪くないと思っていても晴人さんに謝ったことあります? これはルームシェアを円満に続けるコツだと聞いたんですが」
 二宮の眉が不快そうにぴくりと動き、すぐさま犬飼が「一応、家主は晴人さんですし」と自らの発言にフォローを入れた。
「……そうだな」
「つまり?」
「ある」
「へえー」
 気づけば辻の顔色が悪くなっていたので、晴人は携帯からいったん顔を上げた。少し前まではこうなるまでに鳩原がやんわりと話題の軌道修正を試みていたが、今ではその不在の穴を大きく感じる。
 だから彼女は辻から慕われていたのだろう。
「そんなに興味があるなら、犬飼も辻とルームシェアしてみたら?」
 晴人の合いの手に辻はまったく嬉しくなさそうな顔をした。
「えっ、辻ちゃんと? 面白そう」
「……俺はちょっと」
 いやです、と辻は先輩に対して濁すことなく小声で拒絶を示した。
晴人さんは、二宮さんを家から追い出そうと思ったことはないんですか?」
 晴人は手もとで文字に起こされる訓練ブースでの騒動にげんなりとため息をつきながら、今日はやけに踏み込んでくるなと思った。氷見が食事会に参加しないのはこのためかと。男同士で腹を割って話し合うべき事柄があるらしい。
「面倒見がいいからな」
「そうですか?」
「お前、自分の言った発言には責任持てよ」
「……俺も、それだけではないような、気がします」
 辻の控え目な自己主張に、晴人は軽く目を見張った。
「二宮への信頼が厚い」
「当然だ」
 ようやく提出し終えたのかキーボードから手を離し、パソコンの電源を落としはじめた二宮が自信たっぷりに言い切った。
「誰のおかげで生活の質が向上したと思ってる」
「おれは二宮じゃなく辻を褒めたんだよ」
「同じだろ」
晴人さんおれは?」
「お前が最初に同棲って言いだしたのまだ根に持ってるから」
 ぎょっとした顔で辻が犬飼を見た。「太刀川さんが先に言ってそうなのに」と犬飼は飄々としている。
 当初はあの二宮と穏便にルームシェアなどできるのかとほうぼうで心配されたが、お互いに特段の不満なく続いている。
 もちろん主導権は二宮が握っている。
 ボーダー本部と大学キャンパスのあいだにある、寝て、食って、ぼうとするための空間。料理のした形跡のない台所。敷きっぱなしの煎餅布団。
 一般的な男子大学生の生活能力などたかが知れている。はじめは晴人のペースに流されるままに暮らしていた二宮がその状況に何日も耐えられるはずもなく、強烈な唐辛子を噛んでしまったように自我を取り戻すとそれまでの自分を棚に上げてひとしきり説教を垂れ、家事についてはまるで使いものにならない晴人を足蹴にしながら気の済むまで大掃除を敢行した。おかげでひとり暮らしの頃よりも何故か部屋の面積が増えたような気にさせられている。
 ボーダーと、大学と、私生活。過去に嘆いていた通り二十歳にしてそのすべてを二宮に塗り替えられたわけだが、ぬるま湯のような心地よさを感じているのもまた事実だった。暴君のように晴人の本能を奪って、一年経ってもまだ手を緩めるきざしがない。
 だからそう、アパートに居座る野良猫に向ける感情を一言でいえば。
「惚れた弱みってやつかな」
「……えっ」
 何を言われたのか一瞬飲み込めなかったらしい辻に、晴人は言葉選びを間違えたかと少しだけ我が身を省み、別に撤回はしなかった。そう大きく外れてもいない。
 まだ純朴そうな高校生は額面通りに受け取ったようだ。
「えっ、あの……本当にそういう関係だったんですか」
「本当にって辻ちゃん、正直すぎ」
 犬飼が腹を抱えて笑い、そういう関係とはどういう関係だと二宮が片眉を上げ、晴人は慣れた様子で肩をすくめた。
「二宮が女の子だったら」
「二宮さんが、女性だったら、アリなんですか」
 息も切れ切れの犬飼からこれだけはというように聞かれ、晴人はノートパソコンを片付ける幼なじみの仏頂面をしみじみと眺めた。
「かもな。……はあ、何でこいつ、男に成長したのかなあ。ちっちゃい頃のまーちゃんは、それはそれはお人形さんみたいに美人でかわいかったのに」
「と言いながら今もそう思ってるんでしょ?」
「女の子の二宮はかわいいだろ」
「女の子の二宮さん……」
 焼肉の前菜としては刺激の強すぎる話題だったのか辻が胃のあたりを押さえ、二宮はまたしても何の話だと顔をしかめた。
「男女のルームシェアは問題だろ。いずれ面倒な事態に陥るのが目に見えてる」
「お互いに男に生まれて助かったな」
 まともに聞いたこともなかったが、今の話を総合すると二宮はこの先もルームシェアを解消するつもりがないらしい。犬飼に限らず、同学年の隊員たちからこの状況についてあれこれ口出しされてうるさく思っているのは晴人だけのようだった。
 晴人にはそれがどうにも健気に思えてしまい、その頭を犬のように撫でまわしてやりたくなったが、あいにくと二宮は猫のような男なので代わりにゴールデンレトリバーの頭をくしゃくしゃと手荒くかき混ぜておいた。いててと大して痛くもなさそうに犬飼が悲鳴を上げる。
「それじゃ、面倒見のいいおれの代わりに二宮のことよろしく」
「犬飼、任されましたー」
「り、了解です……」
晴人
 テーブルを離れかける晴人を二宮が呼び止める。その顔つきは、血の気の引いた白い手を引っ張り出され、無理やり鍵を握らされたときからは随分と様変わりしている。
 ルームシェアがいつまで続くのか、聞きたいのは実のところ晴人の方だった。
「次の訓練用にトリガーのセットを忘れるなよ」
「ボマー?」
「アステロイドだ」
「お前も無駄な努力が好きだよな」
 帰り支度をはじめた三人に晴人はひらりと手を振って背を向けた。このあとの焼肉屋でどんな会話が交わされるのかに興味を持つよりも、生駒隊と交渉してどうやって自分の隊長の責任を軽くしてもらうか、脳みそにしわを寄せて考えるのに忙しかった。

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