どうやら最近、おれのことを喋るネズミと思っているやつがいるらしい。
「お前、酒はイケる口か? ギャンブルは? そのすばしっこさでおれと一儲けしてみねえか?」
おれは献上された水水肉に遠慮なくかじりついた。なんだこれ。かつてなくウマイ。おれはプールサイドで鉄板に陣取る料理人を背伸びして見た。あそこに行けばもっとこれにありつけられるのだろうか。
「気に入ったか? お前が協力してくれりゃあもっとウマイものを奢ってやるぜ。そのためになあ、ちょっとお前にヤガラの偵察を頼みたいだけで」
上から大きな影をつくりながら葉巻の灰をぼろぼろ落とす人間の弟子がおれの食事の邪魔をする。おれはチューと鳴いてやった。
「チューじゃねえんだよそこはハイワカリマシタだろ。なァ」
すでにできあがっている職人たちがゲラゲラ笑った。
「パウリー、ネズミ相手に何やってんだ。ルッチみてえに芸を仕込むつもりか?」
「あいつと一緒にすんな! このネズミは火の手の上がった本社のなかで確かにおれと喋ったんだよ!」
酔いのまわった頭はすんなりと頷いた。
「そりゃそうだ。海賊船の声が聞こえんだからアイスバーグさんのネズミが喋っても不思議じゃねえだろ」
「空を飛んでも不思議じゃねえ」
「船を造っても!」
「違いねえ!」
肩を組んで呵々大笑。おれはさっさと人間の胸ポケットに避難した。
人間は階段の縁に腰かけ、賑やかなプールのその向こう、今年の高潮に飲み込まれた町並みを見下ろしていた。潮の引いた道端を荷物を担いだ人間たちが行き交っている。人間の子どもたちが漂着した海産物を投げ合って遊んでいる。何度だって見てきた光景だ。人間たちはこの町にしがみつくのを諦めない。
設計図はこの世から消失した。おれは当分ただのネズミだ。人間がおれをそうあるように願うから。
おれは小さいな。
「どうした、珍しく気弱じゃねえか。パウリーにいじめられたか?」
馬鹿を言え。おれがあいつに負けるもんか。
鋸を握り慣れた船大工の手がおれの耳ごと頭を撫でる。こいつが今また新しい難題に取り組みはじめていることをおれは知っている。世界の難題だ。人生の一生を賭けてもいいと思えるような難題だ。
ドンと胸を張って生きのは、けっこう難しいもんだな。
「ンマー、そりゃそうだ。ドンと生きるためにはそいつ自身を超える身の丈が必要だ。そこへいくと、お前はなんだ?」
おれは馬鹿ばかしい思いで人間を見上げた。太陽がまぶしい。
ティラノサウルス。
人間はくしゃりと笑った。懐かしい笑い方だ。あの日以来見ることのなかった、やわらかな光が戻っていた。
「お前はデカくならなくたって構わねえよ。むしろ小さいままがちょうどいい。このポケットに収まりきらねえとおれのほうが困るんだ」
妙な心配しなくとも、おれはお前が生まれたときからこの大きさだ。
こいつにもチューと鳴いてやろうか。それともティラノサウルスの鳴き声はなんだっただろう? もう遠い昔だ。覚えていない。おれはしっぽをくるりと体に巻きつけて胸ポケットのなかで目を閉じた。おれは当分ただのネズミだ。しっぽをインクで染めないただのネズミだ。苦労を重ねて生きてきた人間たちが、それで少しくらい報われるのなら、世界が困ったところでおれはちっとも困らない。
だれが鈴をつけるのか?・了 1 / 2 / 3 / 4