昔はみんな、海で暮らしていた。昼は輝く波をつかまえて、夜は月明かりの庭で眠りについた。揺れる海藻、群れなす小魚、ひげをそよがす竜の王さま。みんな海の息吹に抱かれて眠っていた。

 * * *

 ワタルにはクレキという幼なじみがいる。
 彼はいつも空ばかり見上げているような子どもだった。流れる風に形を崩されては、またどこからか湧き出る雲の動きをいつまでも飽きることなく目で追っていた。農作業に勤しむ彼の父親が腰を叩いてふと畦道を振り返ると、意外なほど真剣な目つきで座る息子の姿を朝に見かけ、昼に見かけ、夜にまた同じところで見かけることができた。地上には面白いものがもうひとつとして存在しないとすでに悟っているかのように、彼の視線は山あいを囲む高い木々の遥か先まで遠くを駆けていた。
 彼の父親はあるとき集会所で、「ワタルさまがジムリーダーになられるのが先か、うちの倅がワタッコの背中にくっついて飛んでいっちまうのが先か、どちらが早くに起こるかわかりませんな」と冗談を飛ばしたことすらあった。もちろんワタルに期待をかけての発言だが、周りで聞いていた大人たちは案外冗談の範疇に収められないと目配せし合っていた。
 狭いフスベシティでほとんど同時に産声を上げた間柄とはいえ、その頃すでにドラゴン使いとしての修行に入っていたワタルと、しばしば家業の手伝いに駆り出されるクレキとでは、町にたったひとつある学校の教室でも、古い伝統を守る祭礼の場でも、並びあって座ることはまずなかった。
 クレキにドラゴン使いの才能がなかったからだ。彼はいつもワタルに遠慮して、父親と同じように「ワタルさま」とへりくだって呼んでは彼らの視線が正面から交わる前にふらりとどこかへ消えていた。その傍らで、ワタルやほかの子どもたちのようにミニリュウの姿を見つけることは叶わなかった。
 フスベ生まれの子どもが聖なるドラゴンポケモンに選ばれない。いったいそこに、どんな意味があるだろうか。
 暮らしぶりの厳しかった数世代前ならいざしらず、今ではドラゴン使いの適正が認められなかったからといって差別されるようなことはない。それでも子ども心にいくらかきまりの悪さを感じるもので、だから彼もここではない遠くばかりを眺めては早くに生まれ故郷を出ようとしているのだと、年齢のわりに冷めた考えを持つワタルは、畦道をくだるその背中を遥かに望みながらそっと目を伏せていた。

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