この異床同夢ともいうべき体質は、まだ正式にサイドエフェクトと認定されているわけではなかった。夜毎の夢に悩まされ続ける本人の証言と、その美嗣を対象にした未来視でのみ異常な現象は捕捉されていた。
 迅は、街で美嗣とはじめてすれ違ったときのことを今でも鮮明に覚えている。あまりにも滑稽で、あまりにも常軌を逸した光景が横面を殴るようにして目に飛び込んできたからだ。ほとんど機械的に処理されるサイドエフェクトの情報のなかに紛れ込んだその幻想的な暗黒世界は、残酷な予知とその取捨選択を絶えず行ってきた迅をしても本能的な吐き気を覚えさせ、視神経のどこかを狂わさせるものがあった。
 砂嵐の吹き荒れる視界にピンク色のペンキがべったりと塗りたくられる。それは時間が経つごとに黒い霧のような光を帯び始め、やがて人型の生き物がぬらりと地面からそそり立った。顔も、背格好もわからない。それが人間だと思えたのは、下着姿の美嗣の手首にピンク色の指のあとが付着したからだ。かくんと折り曲げられた美嗣の膝が地面に沈んだ。まだ見ぬ誰かの地獄にその体が引きずり込まれる。見ているばかりの迅の腕に鳥肌が立った。
 突然立ち止まった通行人に蛇行しながら追い抜いていった自転車が遅れてベルを鳴らし、音に驚いた美嗣が振り向いて青い顔をした迅と目が合った。
 次の瞬間に見た未来では、隊服姿の嵐山と美嗣が平和に嵐山家の飼い犬を散歩させており、この展開を引き寄せるしかないと当時の迅は咄嗟に思い込んでいた。
 ベルを鳴らされたのが自分ではないと気づいた美嗣がようやく前を向いて歩き出そうとするところを、彼の手首をつかんで引き留めた。その未来がどれほど先のものか判別つかなかったが、今の美嗣の膝はまっすぐに伸びたままで、ひっくり返した手首の内側にペンキのあとはない。
 あとがつくような未来があってはならない。
 そもそも世界がペンキで塗り潰される未来とはどのようなものなのか、予想外の衝撃に心を揺さぶられている迅はまだ平静を取り戻せていなかった。
「今日のラッキーカラー、知りたくないか?」
 あとで思い返しても、はじめて交わした言葉は不審極まりないものだった。あれでよく手を振り払われなかったなと迅はつくづく事態の都合の良い展開に感心しているし、そうしなかった美嗣の先行きが心配になる。
「今だけの特別サービス。無料で占ってあげるけど、興味ない?」
 美嗣は初対面の男に体の一部を拘束されてさえもまだぼんやりとしていた。いかな地方都市とはいえ、あまりにも無防備な内面を晒している。
「お兄さん、占い師?」
「そうそう。業界では的中率十割の外さない男って呼ばれてる。聞いたことないかな、おれのこと……嵐山とかに」
 最後の名前を慎重につぶやいても、きょとんとした顔の奥に見える未来は変わらない。ピンク色のペンキと、嵐山の赤い隊服。どちらも存在し続けている。
 しかし美嗣が口にしたのは別の人間のことだった。
「嵐山って、双子の嵐山のこと? ごめん、どっちとも同じクラスになったことないよ」
 迅は虚をつかれた思いで美嗣をまじまじと見つめた。
 双子。嵐山には確かに双子の弟と妹がいる。言われて見れば、この少年は彼らと同じ年頃に思えた。
「……ああ、そっか。そっちの知り合いか」
「うん? だから双子とは話したことないよ。もしかしてお兄さん、誰かと間違えてる?」
 未来の彼の近くには双子のきょうだいたちがいたのかもしれない。迅は散歩中の風景をもう一度よく見ようとサイドエフェクトに集中しかけ、今さらのように握られたままの手首をぶらぶらとさせながら、「人違いだと特別サービスはなし?」と呑気に尋ねる美嗣の声に阻害された。
 邪念というほどのことではない。ただ、街角で中学生をつかまえたまま話し込むのは外聞が悪いし、あの不気味な未来については腰を据えて詳しく聞いておく必要があるなとの考えが頭によぎっただけだ。
 迅は鋭く息を飲んだ。
「お兄さん?」
 未来が転んだ。それはあまりにもあっけなく、そして劇的なものだった。ふたりのそばをサラリーマンや買い物帰りの主婦が行き交い、平和なざわめきにあふれ、誰が何に影響を与えたのかまで把握できないが、確かにそれは動いていた。
 サイドエフェクトが美嗣の未来を映す。嵐山はまだ迅の視界のなかに居座っていたが、喜ぶべきことにあの吐き気を催すようなピンク色のペンキは見えなくなっていた。まるで砂上の楼閣のように、跡形もなく消え失せている。そしてその隙間を埋めるように、迅がいた。
 まだあどけなさの残る少年時代の迅悠一がそこにいた。隣に座る美嗣は今の姿そのままに、彼らは並んで床に膝をつき、折り紙を折っている。大きな花を咲かせた白いチューリップに、ぴょんぴょんと飛び跳ねる薄緑色のカエル、銀色の特別な色紙で作られた自動車と、それからでたらめに折り曲げられて何かよくわからなくなったもの。色とりどりの紙が青空の描かれた天井から雪のように舞い落ちている。幼い迅が大きく口を開けて笑い、美嗣がにこにことそれを聞いている。
 幸福そうな未来だった。
「なんだこれ……」
 今を生きる迅に手首をつかまれたままの美嗣は、相変わらず他人の思惑に無頓着な様子で迅を見上げている。その顔は、たった今見たばかりのものと寸分変わらない。
「お兄さん、今日のぼくのラッキーカラーが何かもうわかった?」
 思わず強く握りしめた美嗣の手首の内側に指あとがわずかに残り、迅は吐き出す息とともにその腕を放した。
「……ここだと難しいな。少し場所を移動しないか?」
 いかにも怪しいその勧誘文句にも、美嗣は素直に従った。
 たとえこの場で逃げられても、何らかの手段を使ってでも接触し直そうと覚悟を決めていた迅は、あの不気味で心地良い未来との激しい落差にめまいを覚えた。

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