リーグ決勝戦、歴代最強と名高いドラゴン使いとの二度目の対戦を前にしてグリーンの心境は複雑だった。
とかく異例尽くめのリーグ戦だ。まず、この場に本来であれば立つはずの現カントー地方チャンピオンは行方不明だった。ちょっと自分を鍛え直してくると言い残して、幼なじみは当時チャンピオンだったグリーンをぶん殴った精鋭揃いの相棒たちを引き連れてどこかへと消えてしまった。
故郷に凱旋したら事情を知っていそうな祖父を絞めあげようとグリーンは心に決めていた。レッドには物申したいことが山ほどある。
そしてもう一人の不在についても戦前から大きく取り沙汰されていた。リーグ関係者に近い情報筋のコメントから荒唐無稽の三流ネタまで彼はありとあらゆる好奇心の目に晒されて、しかし今日この日まで沈黙を守り続けている。彼の居場所についてはリーグ本部ですらノーコメントを通し、それがいよいよ噂に拍車をかけていた。
つい先日までポケモントレーナーの頂点に君臨していた男が、いったい何から身を隠すというのか。グリーンの幼なじみも関与するカントー地方を根底から揺るがしたテロ事件とその顛末について、それらの根拠となる噂話をグリーンはいつも離れた街で聞いていた。もう終わったことを、他人の口を介して聞かされていた。
そして遂に、グリーンの先代チャンピオンが彼の前に現れることはなかった。
「この一戦でカントー・ジョウト地方統一リーグの初代チャンピオンが決まる。覚悟はいいかい」
戦いに飢えたドラゴンの息吹が観客を沸かせた。ぎらぎらと輝く瞳がグリーンの胸に燻る高揚感を刺激する。
現行制度の破壊を目論むテロ組織への対策として、地域的なつながりの強いカントーとジョウトの公的機関が協力体制を敷いたのは当然の成り行きだった。今回の統一リーグ創設もその一環だと聞いている。世間にも公にされていることだ。
眩しいまでのスポットライトはリーグ本部公認のジムリーダーによる前代未聞の不祥事を払拭するための華々しい飾り付けだと、まだ世慣れないグリーンにも理解できている。そのステージに自ら足を乗せた以上、存分に踊らないわけにはいかなかった。
腰のモンスターボールが興奮を隠しきれないように一斉に鳴り出した。落ち着けとひと撫でして、冷たい指先を握り込む。
グリーンもまた勝利への渇望を抑えきれないでいた。
見てるかレッド、とグリーンはどこにあるかも知れないカメラレンズに向かって吐き捨てた。
「ワタルさん、今回はあんたが挑戦者だ。俺があんたの実力をたっぷりと確かめてやる。最もチャンピオンに近いポケモントレーナーとしてな!」
この瞬間から彼の話題は波が引くように消えてなくなるだろう。世間の関心は新たなチャンピオンの誕生に向けられている。
過去の栄光は現在を飾る額縁にしか過ぎない。
しかし、ワタルには確信にも似た思いがあった。己が彼の四天王であったことを生涯に渡って誇りに思い、そして深く悔やみ続けることになるだろうことを。彼を玉座から引き摺り下ろした手が自分のものではなく、それどころか自分が負けを認めたトレーナーのものですらなかったために、永遠に行き場のない感情がこの身に燻り続けるだろうことを。
「……ああ、どちらがチャンピオンに相応しいか戦って決めようじゃないか」
海の化身とも称されるカイリューの小さな翼が興奮のために広げられる。そのあざやかな緑が目に差して、ワタルはゆっくりと瞬いた。
故郷の滝口に舞い落ちる鱗片がまぶたの裏で光を受けて、いつまでも水影のように揺らめいていた。
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