「お前……どこにでもおるな」
 セージはうんざりとした顔を隠さなかった。気性の荒いポケモンたちが住み着いているハナダの洞窟に怪しい人影が出入りしているという噂をマサキから聞いて、わざわざ様子を見に足を運んだことをすでに後悔していた。ロケット団の残党でなければ、どんな種類の人間が非合法活動をしていようともはやセージの出る幕ではなかった。
「やあ、君か」
 小ぶりなハンマーを持つ手を下ろし、山男がゴーグルを外した。
 浮遊するレアコイルの放電にセージは目を細めた。明滅する明かりの下で見覚えのある青年が手を振っている。
「ダイゴ」
 坑道の奥から聞こえた不審な金属音に近づいてみれば、ホウエン地方でチャンピオンを務めているはずの男が本格的な登山用の服装で露頭に張り付いている。立ち入りの制限された場所にいる人物としては妥当なところだったが、特にセージが歓迎するような相手でもなかった。
「……こんなところで何しとる」
「宝の山を発掘しにね。こんなに素晴らしい鉱脈を手つかずのまま残しているなんて、この目で確かめた後でも信じられないよ。君たちカントー人には煩悩がないのかい? ああ、待って。動かないで。君が今立っているそこ、そこにも何か珍しい化石の気配がする。ちょっと目印のためにそこから動かないでいてくれるかな?」
 随分と身勝手なことを言って、ダイゴがにこにこと笑っている。セージは深々とため息をついた。
「……はよ帰れや」
「つれないことを言うね。怪我をしたと聞いたからカントーまで見舞いに来たんだよ、今思い出したけど。見たところ元気そうで良かった良かった」
「いつの話や」
 セージの傷はとっくの昔に癒えている。世の中もすっかり新しいリーグと新しいチャンピオンに慣れてきて、セージが出入りの激しいマサキの家でぼんやりと暮らしていても少しぎょっとされるくらいには落ち着いている。まれにむし捕り少年をやっていたらしきトレーナーから握手を求められることもあったが、それも辞任騒動で世間を騒がせていた時期に比べれば大した話ではない。あの頃は取り逃したサカキの行方を追いながら、敵討ちを狙うロケット団の残党や暗幕に覆い隠された真実なるものを求める記者にセージ自身も付きまとわれて、精神的な疲労の度合いが大きかった。
「お月見山に立ち寄っていたから少し時間がかかってしまったかな。ほら、ちょうど流星群の時期だっただろう。まさか素通りするわけにもいかなくてね。君も見たかい? あの息を飲む美しい光景……あれが隕石となってこの地表に残るんだよ。信じられるかい?」
「……お前、リーグ放っていつまでおるつもりや」
 セージはいつまでも続きそうなお月見山探訪記を遮って要点だけ手短に確認しようとして、きらりと輝く目もとに再びうんざりとした思いが押し寄せた。
「おや、セージこそ耳が遅いね。……ぼくもチャンピオンを辞めたんだよ、君とお揃いだね!」
 僕たち仲良しだねと鼻歌交じりに言われても、不名誉なチャンピオンの辞め方をしたセージはダイゴをしらっとした表情で見るだけだった。
「何やらかしたんや」
「……ふふふ、ちょっと世界を救ってね」
 セージは付き合っていられるかと即座に踵を返した。
「もう帰るのかい、すぐ片付けるよ」
 工具や地図を鞄に詰めて、セージの後ろをダイゴが足早に追いかける。
「なんでついて来るんや」
「君の方から会いに来たんじゃないか。それに言っただろう、僕もセージの様子を見に来たって」
「忘れてたんやろ」
「おっと、拗ねないでくれよ。君にお見舞いの品だってあるんだから」
「もう石はいらん」
 主人の荒んだ心境を他所にお互いのポケモンたちは和やかに挨拶を交わしていた。磁力でレアコイルの体に引き寄せられた鉱物をレディアンが興味深そうに眺めている。
 断った傍からダイゴが親切そうな顔つきで鞄から取り出した月の石をレディアンに握らせようとするので、セージは無言でモンスターボールの中に戻すほかなかった。レディアンは夜空の星々と深い関わりがあると言われているが、月の石から新たな力を得るといった話は聞いたことがない。布教活動に手持ちのポケモンが巻き込まれるのは御免だった。
「そう言うと思ったよ。大丈夫、君にぴったりの子を用意したから。きっと気に入ってくれるよ」
 セージは自信に満ちあふれるダイゴを疑わしそうに横目で見た。
 洞窟の入り口ではヤドンがごろごろと草むらに背中を擦り付けていた。その様子を野生のポケモンたちが遠巻きに恐々と窺っている。
 傍目にはこれほど相応しくない見張り役もいないだろうが、付き合いの長さからセージが傍にいなくとも考えを汲み取って動いてくれる良き相棒だった。のんびりした動作でセージの足もとまで歩いてくると、またごろりと地面に転がった。そのピンク色のぽたりとした腹をセージはごしごしと撫でてやる。表情は変わらないが、喜んでいる証拠に口の開く角度が少し違った。
「良く育っていると思ったら君のポケモンか! 噂に聞くハナダの洞窟の凄まじさに感心していたのだけど、道理で肩透かしを食らったわけだね」
 すでに一度会っていたらしい。セージはヤドンの脇腹を軽くつねったがとぼけた顔であくびをされただけだった。残った指の感触に、怪我の療養期間中の食べすぎで体重が増えたかもしれないなとセージは真剣な顔つきで考えた。主人に似て無精な生活が深刻化している。
 ダイゴがそのヤドンを上から眺めて顎に手を当てた。
「相変わらず進化していないみたいだね」
「……誰のせいやと」
「うーん、でもあれから随分と経っただろう? もうとっくに石を排泄していても良い頃合いじゃないかな?」
 もしかして体内で溶けてしまったのかな、とダイゴが不穏なことをつぶやいた。
 シロガネ山に入りたいと駄々をこねる不審な山男の報告が警備員よりあったのは、セージがまだチャンピオンの座に就いていた頃の話だ。ゴールドのトレーナーカードを片手に自称するホウエン地方チャンピオンの肩書きが本物かどうか確認の取れるまで、セージはダイゴのうんざりとするほどの長い石自慢に付き合わされたことがある。かつて仕事で会食をともにしたことのあるポケモン大好きクラブの会長よりも話が長かった。
 もとよりセージのヤドンは同じ種族の中でも輪をかけて呑気な性格だ。いつまでも進化しないことに病気を疑ったこともないが、求められてもいないのに山男の実績を申告するために並べられた石のひとつが誤ってヤドンの口に入ってしまったことにより、いよいよ確定的なものになった。拾い物の誤飲はポケモンセンターの相談コーナーにも掲示があるほどのよくある事例だが、それ以来セージはダイゴに対してあまり良い思い出はない。
 そのシロガネ山つながりで、セージは不思議と縁のある少年のことを都合よく思い出した。曲がりなりにもチャンピオンであったダイゴの実力ならば彼の対戦相手として不足はないだろう。あるいは、そろそろ下山させてやってくれないかとセージのもとにまで問い合わせが入る煩わしさを解消してくれるかもしれない。
「ついでにシロガネ山にでも行ったらどうや」
「それも楽しそうだけど、この辺りに有名なポケモンマニアがいると聞いていてね。もしかしたら僕のまだ見ぬ化石ポケモンを持っているかもしれないだろう。いや、学会にも出入りするほどの人物と言うからきっと噂だけでも耳にしているはずさ。ああ、どんなことが聞けるか想像するだけでも今からわくわくするね!」
「……最悪や」
 ハナダの岬で出迎えたマサキは、ダイゴの前でわかりやすく表情を変えるセージを見て貴重な幼なじみの友人を熱烈に歓迎した。

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