セドリックがかすり傷ひとつでも負うものなら矢のように飛んできて片っ端から治癒の呪文や薬を試し尽くす
ブリジットが、ドラゴンによる第一の課題を終えてしばらくしたあとも他のことに気を取られている。
「生まれながらのレイブンクローの変人が、とうとう恋でもしましたか」
友人の言葉に
ブリジットはぽかんと口をあけた。
「何のこと……?」
「私にも心当たりがちっともないのが親友として寂しいところですが、あなたの話です、
ブリジット。成人してようやくディゴリー離れが済んだのですか?」
「セドリックは大切な友だちだけど」
「知ってます、そうではなくて、つまり……」
「つまり、気になる相手がいるのかって聞きたいの。ダンスパーティに誘うなら早くしないと。ところで
ブリジットばかりに構って、あなたの方はどうなの?」
「……スリザリンにつてがありますので」
「弟くんのことでしょ? つまらないわねえ」
「あなたへのクリスマスプレゼントには特別に、恋人と破局する呪いのかかったカードを差し上げますよ」
ブリジットはなかなかあいた口を閉じる隙がなかった。恋バナは
ブリジットからもっとも遠い話題のひとつだ。
「……もうクリスマスの時期だったのね。あのハロウィーンの夜から月日が経つのも早いわ。もっとゆっくり時間が過ぎてくれればいいのに」
「
ブリジット、大丈夫ですか? まるで七年生のお姉さま方みたいなことを言ってますよ?」
ブリジットは手もとの食器を眺めた。先ほどからスプーンでかき回すばかりで肝心のスープ皿の中身が一向に減らない。夕食のあとスネイプ教授に頼んで魔法薬学の調合室を借りるつもりでいたが、時間を延長して体力増強剤を作らなければならないかもしれない。
「わたしはこの冬休みはホグワーツに残るから、どこのお家のクリスマス・パーティにも参加しないつもりなの。だからパートナーを探す必要はないし……特定の相手もいない」
スープにばかり気を取られていた
ブリジットは、友人たちが絶句したことにも気づかなかった。
レイブンクローの長テーブルに、あちこちから声をかけられながら近づいてくる集団があった。その中心にいるのはセドリックだ。彼は
ブリジットと目が合うとほっとしたようにほほ笑んだ。
「よかった、最近ずっと図書室に籠もりきりだって聞いたから、心配していたんだ。でも顔色が少し悪いね、ちゃんと寝れてるかい?」
あたたかい指先がブルジットの頬を撫でる。第一の課題は大きな波乱もなく終了した。ホグワーツの代表ふたりも、他の学校の生徒も、無事に生還している。
「対策を考えるのに忙しくて……でも試合の課題で大変なセドリックほどじゃない」
「ああ、もしかしてもうNEWTの?
ブリジットはすごいな。代表選手の特権で学期末試験を免除されたんだけど、NEWTのことを考えればその権利を放棄して僕も受けようと思っているんだ。よければまた一緒に勉強しない?」
その誘いは嬉しかったが、
ブリジットが図書室に足を運んでいる理由はそればかりではない。どう断ろうか悩んでいると、セドリックからもうひとつの提案が投げかけられた。苦笑を浮かべながら周囲をちらりと見て、スプーンを置いた
ブリジットの手を取る。
「ダンスパーティのことで話があるんだ……、ここは人が多いから、少し外を歩かないか」
セドリックの言う通り、彼が大広間で足を止めているとその周りにどんどん人が集まっていた。気のせいか
ブリジットまで注目を浴びているようだった。正面では友人ふたりが抱き合って興奮している。
「じゃあ地下牢に行きましょう。このあとスネイプ教授との約束があるから、あのあたりは静かで人通りも少ないし」
その言葉には、
ブリジットの友人のみならず、セドリックと仲の良いハッフルパフ生たちまでもががっかりした顔を見せていた。
ルーモスで暗い地下牢に明かりを灯し、セドリックは唐突に「ごめん」と謝罪した。
「ダンスパーティは口実だったんだ。こうでもしないときみとふたりで話せないから」
「そうね、セドリックは今年に入ってすっかり校内の人気者になっちゃったから。去年は監督生にクィディッチのキャプテン、今年は国際試合の代表選手。来年はどんなすごいことを成し遂げるのかしら?」
「からかうなよ」
「きっと、マーリン勲章を授与されるようなすごいことよ……、きっとね」
取り留めもない話をするふたりの足音が地下牢に響いた。壁には動く絵画が一枚もなく、たまにゴーストたちが気のない一瞥をふたりにくれ、天井や鉄柵をすり抜けていくだけだった。
「僕たち、一年生の頃に戻ったみたいだ」
「そう?」
「うん。静かで、ひとりっきりになりたいときがあの頃にはあったから。それで心配したきみがホグワーツ中を探し回って僕のことを見つけてくれる」
「そのおかげで、わたしはホグワーツの隠れ通路に詳しくなったのよ」
「地下牢にもある?」
「もちろん。昔、ここで何日も閉じ込められて罰則を受けていた生徒が、管理人に秘密で掘った抜け穴がまだ残っているんじゃないかって言われているの。彼女はレイブンクローの生徒だった」
「もう見つけた?」
「ううん」
「探してみたいな。魔法のかけられたホグワーツ城にどうやって穴をあけたんだろう」
「さすが、アナグマさんはやっぱりそこが気になると思った」
「どうしてこんなに楽しそうなことを今まで僕に黙ってたんだい? 学期末試験が終わったら探検しよう」
「そうねえ……」
ブリジットはくすくすと笑った。
「ふたりで大広間を抜け出して、話す内容がこんなことでいいの? まるでほんとうに一年生に戻ったみたい」
ゆっくりと周囲の景色を楽しんで散歩するように飾り気のない地下通路を歩いていたが、それでも教授の研究室の前に着いてしまった。一年生の頃はもっと歩幅が狭く、分かれ道に迷い込み、たどり着くのにもっと時間がかかった。壁にもたれかかるとひやりと冷たく、杖を振ってローブにぬくもりを入れ、ついでに裏地に毛皮を生やした。6年生となった今では、この程度の魔法はお喋りの片手間に扱うことができる。
「セドリックのローブにも」
「ありがとう。でもこれ、レイブンクローカラーだね」
「たまにはいいじゃない。それとも地下牢らしく、スリザリンの紋章を入れればよかったかしら?」
「スネイプ教授に見つかったら長いお説教が待ってそうだからやめたのは賢明だと思う」
「確かに!」
セドリックが寛いだ顔で笑い、それで
ブリジットは気がついた。彼は少し、疲れているらしかった。人を落ち着かせるような優しい雰囲気が後退していた。透明な殻に籠り、ノックした
ブリジットにだけ合図を送っている。
「……対抗試合の次の課題が年明けだと聞いて、実はほっとしたんだ。これでしばらく休めるし、授業に集中できる」
「第一の課題は問題なくクリアできたんでしょう。その、顔にちょっと火傷ができたとは聞いたけど、一番手なのに素晴らしく巧みなやり方だったと」
「うん、まあね……」
セドリックはため息をついた。
「僕は不当にクリアしてしまった。だから代表選手失格だ」
「まさか」
そこまで悩んでいるとは思わなかった。
「不当というならそれはその……、ハリーの方じゃないかしら?」
「僕もそう思っていた。どうしてハリーだったんだろうかとずっと疑っていた。でも、同じ課題に挑戦してみてわかったよ……彼は選ばれるべくして選ばれた、ホグワーツの代表選手だ」
「セドリックもそうじゃない」
セドリックは力なく首を振った。
「僕は違う。彼が不正を好まないと知っていたのに疑った。僕から距離を取ったのに手を貸してくれた。そしてあの魔法……彼ほど生まれながらのクィディッチ選手は他にいないよ」
「自信を失っているのね」
優等生のあのセドリックが。他人の美点を誰よりも早く見つけ出し、自分より優れた長所を褒めることに躊躇しないセドリックが、年下のよく知る後輩を相手に落ち込んでいる。よく知った相手だからかもしれない。
「うん、きみなら率直にそう言ってくれると思ってた。もともと各校に代表選手はひとりずつ。それは僕ではなく、ハリーだったのかもしれない。だから僕は、不当に選ばれたんだ」
「そんなことない。あなたの努力をみんな知ってる」
「みんな僕の幻影を祭り上げてる。
ブリジットは知っているんじゃないかな、みんな僕ではない僕を見ている気がするよ」
「それなら……そんなに後悔してるなら、変わってよ」
ブリジットは言った。言ってしまったあとはもうどうにでもなれという気分だった。胸につかえていた思いが言葉となって口からあふれ出る。
「わたしは対抗試合のためにこの五年間ずっと頑張ってきたといっても過言でないの。代表選手になることが夢だった。もしわたしの名前が炎のゴブレットから出ていたなら、セドリックみたいに一瞬でも後悔することなんてしない。課題の結果が悲惨なものになったとしても、ちょっとくらいずるしても、最後まで絶対に諦めない。だから、変わってよ」
セドリックは呆気にとられていた。
「……どうやって?」
「ポリジュース薬。今からならまだ間に合う」
「それだと
ブリジットが参加したことにならない」
「わたしはセドリックに変装したままでもいいの……ううん、むしろその方がずっといいのかもしれない、それしかない気がする」
ブリジットがセドリックになる。思いもかけない発想だったが、それはすべての問題を解決する最高の答えのように感じられた。セドリックになってしまえば悪夢は悪夢のままに成立する――これまでと同じように。
「それで、ちょうどいいところに僕がいて、目の前には魔法薬学の教室があるわけか。きみなら簡単に作れてしまいそうだね」
「簡単じゃないわ、一ヶ月かかる。次の課題まで時間があってよかった」
「ああ、ほんとうに。すごく魅力的な提案だよ」
セドリックは穏やかにほほ笑み、「でもね」と言った。そう続くだろうとわかっていたから、この案について
ブリジットはこれまで考えてもみなかった。
「でもね、後悔しながら最後までやり抜くよ。どうやらそれが、完璧なミスタ・ハッフルパフなんて称賛がちっとも似合わない、ただのセドリック・ディゴリーのやりたいことのようだから……うん、それが僕の夢だったのかもしれない。きみが僕の代わりに挑戦しているのをただ横で見ているばかりなのはすごく悔しい」
「……悔しくたっていいじゃない。わたしだって優勝できるかもしれないのに」
「そうだね。
ブリジットはいつもそうだった……僕がクィディッチの選抜試験に通ることも、監督生になることも、対抗試合で優勝杯を手にすることすら誰よりも信じてくれる。だから、僕は安心してどんなことにも挑戦できる」
セドリックの杖先が動き、ルーモスの明かりが
ブリジットの顔を照らした。
「きみの涙を久しぶりに見たよ。僕のために泣いてくれるのは嬉しいと言ったら、きみは怒るかい?」
「紳士の言うことじゃない」
「ごめん」
そう言ってセドリックは
ブリジットを抱きしめた。
「きみが不安になっているのがいつも伝わってくる。僕よりも僕のことを気にかけてくれる。もしこの立場が逆転したら、きっと不安に押しつぶされて一日も耐えられない」
「……それがポリジュース薬を断る理由?」
「うん」
セドリックの笑った吐息が耳にかかる。
ブリジットも眉根を下げ、濡れた目もとをセドリックの肩に寄せた。
セドリックが好きなことに挑戦する姿を見るのは楽しい。彼の心から笑った顔を見るのが好きだ。彼にはいつまでもたくさんの友人に囲まれていてほしい。
だから、
ブリジットがどうにかするしかない。
「スネイプ教授、遅いね」
「ああ、そういえば。約束しているんだったよね? 時間に厳しい教授が遅刻するなんて何かあったかな」
「どうかしら、最近忙しいみたいだし……」
セドリックから離れ、
ブリジットは研究室の木製の扉に触れた。一部の生徒による悪戯防止のために厳重な魔法の鍵がかかっている。
「ダームストラングの校長先生と話し込んでるところをお見かけしたことがあるし、来賓客の接待に追われているのかも」
「どうする? もう少し待つなら暇つぶしに付き合うよ」
「いいえ……今日はもうやめておく。これから実験をはじめるにしても時間があまりないし」
ブリジットはスネイプ宛の伝言を羊皮紙に書きつけるとそれを扉の隙間に挟み、セドリックと大広間に戻った。
夕食の時間からかなり経っていたが、驚いたことにまだ
ブリジットの友人たちはレイブンクローの席でお喋りに夢中だった。いつもは背中合わせに座るハッフルパフの生徒たちと一緒にいて、そのなかにはセドリックの友人もいる。
ブリジットたちが彼らに近づくと、なぜか拍手が起こった。「おめでとう」と肩を叩かれ困惑する。
「酔ってるの?」
「そう、雰囲気に酔ってるの」
ブリジットの友人が上機嫌に答えた。
「それで、一緒に出てきたってことはきみたちカップル成立か?」
ブリジットはセドリックを見た。セドリックも思わず
ブリジットを見ていた。
「……何のこと?」
「もちろん、ダンスパーティに決まってるだろ! おいセドリック、そのために誘ったんじゃないのか?」
「すっかり忘れてた」
長テーブルに座る面々の落胆した顔には見覚えがあった。
ブリジットがセドリックを地下牢へ誘ったときも同じようにがっかりしていた。
「セドリック」
「わかってるよ……、
ブリジットはもうダンスパーティの相手がいる? まだなら僕が誘ってもいいかな」
「え? でもわたし、家には……」
戸惑っていると、
ブリジットの友人が口を挟んだ。
「あなたたち、ほんとうに地下牢まで行って戻ってきただけなの? 六年生にもなって? 何やってるのよ!
ブリジットはね、今年、ホグワーツでクリスマス・ダンスパーティがあることも知らないのよ」
ブリジットはようやく事態を飲み込めてなるほどと目を瞬かせた。よくよく思い返してみれば、そういった話を下級生たちがこそこそ耳打ちし合っていたのを見かけたような気がする。掲示板に張り出されている紙を思い起こそうとして、監督生として職務を全うできていない近頃の自分の態度を反省した。ダンスパーティであれば準備がいる。
ブリジットに相談の機会を待っている子もいたかもしれない。
「珍しい。いつも閑散としたホグワーツの冬休みにダンスパーティ? 海外からのお客さまが滞在するから、その余興にどうぞってことなのかしら」
「余興どころではないですけど、その通り。四年生以上はほとんどホグワーツに残ると思います」
「きみも残るんだよね、
ブリジット?」
「そう、今年は帰ってる暇がないから」
「きみの忙しさはスネイプ教授にも負けてないよ」
「そういえばセドリックの毛皮、まだレイブンクローカラーのままよ。どうせなら蛇柄にしておけばよかったかしら?」
「うん、惜しいことをした。スリザリンの談話室に潜り込めたかもしれないのに」
セドリックが
ブリジットと笑い合っていると、彼は友人に肘で脇腹をつつかれ、ふと困ったように目をうろつかせ、他の長テーブルからも聞き耳を立てられているのがわかると苦笑した。
「ええと、
ブリジット」
「何かしら」
「今度のダンスパーティ……ホグワーツで開催されるクリスマス・ダンスパーティに僕と一緒に出てくれませんか。きみの最初のダンスの相手として申し込みたい」
顔を覗き込まれ、丁寧な誘われ方に一瞬声も出なかったが、セドリックの顔はもう断られることを想定したような表情だった。情けなく眉根が下がっている。
ブリジットの考えも地下牢のときと変わらない。
「あなたが代表選手をやめるなら」
「それはできない」
「だったら私もあなたとは行けない」
きっぱりとした言葉が出た。ポリジュース薬を断念するのであれば、他の手段を考えなければならない。禁書の棚への申請をあまりにも多くしていたため、寮監からは疑いよりも心の疲労を心配されてしまい、ホグワーツ以外で闇の魔術に関する本を探さなければならない事態に陥っている。まずはホグズミードの専門店、それから姿現しで夜の闇横丁へ。クリスマスを楽しんでいる時間はなかった。
セドリックが
ブリジットをじっと見つめた。
「きみは……、怒っていないね」
「わかってるならそんなふうに確認しないで。もうあなたの覚悟は聞いたもの。だからまだ足りないのは、私の覚悟だけ……ダンスパーティに出ている暇はないの、それだけよ」
「地下牢ではあんなこと言ったけど、もし僕が優勝杯をきみに捧げられなかったとしても、きみは後悔したりしない?」
「当たり前よ!」
そちらの方がどれだけ嬉しいか、セドリックにはわかるはずもない。伝える気もないので
ブリジットはもう一度セドリックと抱擁を交わし、寮に帰ろうと友人たちの方を振り向き、その片割れがいつの間にか歓談に混じっていたボーバトン校の男子生徒と親密そうな雰囲気を出していたのに驚いた。ダンスパーティには弟と出かけると言っていたが、最適な相手を見つけたらしい。ニコラス・フラメルとやりとりするためにフランス語を教えてくれたのは彼女だった。
「待ってくれ、つまりきみたち、カップル成立してないってことか?」
「つまりそういうことみたいね、間抜けなアナグマさん。あーあ、間抜けなのは私も同じ。どうして断ったりしたの?」
「だから対策で忙しいの」
「クリスマス・パーティよりも勉強の方が大事ってか? こんなときまでもきみたちレイブンクローは理解不能だ!」
「ちょっと、
ブリジットと一緒にしないでよ。私はカミソリカニムシくんと大いに楽しむつもりよ」
「誰とだって?」
「カミソリカニムシ。その子の恋人のあだ名です。とても残念なことによく考えられています」
騒がしいやり取りを、セドリックがにこにこと聞いている。
対抗試合の第二の課題は年が明けてから、そして最大の難敵である最後の第三の課題は半年後に行われる。低学年の涙ぐむばかりだった頃に比べれば、悪夢はもうすぐそこまで迫っていた。
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